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原点

今日は、お話を紹介しようと思います。
この話は最近見つけたんですが、僕の原点とも通ずるものがあります。

ではどうぞ!








私は、比較的やさしい、 思いやりのある人間だと自負していた。

長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが

習い性となったのか、 頼まれごとをされれば、 なんでも引き受けてしまうし、

少しばかり自分の時間や 労力を費やすことになっても、

それを惜しむ気持ちにはあまりならない。


だから他人からは、 面倒見がいいとか、 気配りがあるとか、 やさしいとか言われ、

そう言われればもちろん悪い気はしないから、

自分でも何となくそんな気になっていた。


そんなある日のことである。

食事中に私は、友人から意外なことを言われた。

共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、

彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。


君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね


私はカチンときた。


「どういうことよ、それ」

「いや、だからさぁ、君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、

結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、ときどきするんだよね。」



彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。

私は猛然と反論しはじめた。


「何かしてあげて、それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?

やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、

それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?

それって、あんまりじゃない。

もちろん 私は神でも仏でも聖人でもないんだから、

そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、相手のことを思ってやっているのは事実よ」


 
黙ってしまった彼の前で、

私はひたすら言葉を続けた。


「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。偽善でやさしくできるほうが

何にもしないより少しはましでしょ?

能書きばかり言って、あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」

 
こちらも

ついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。

彼は苦笑して私を見た。


「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。

人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、君みたいにしてあげることを

喜べる人は、偉いと思ってるよ。

ただ……。

そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」










話はそこで終わり、

気まずいまま私たちは店を出て、ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、

そしてそのまま別々の電車に乗った。

下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、

さっきの友人の言葉を思い返した。

腹は立つのだが、何となく気になる。

残念だが心の奥底がどこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。


----------------------------

 
ふと昔聞いた

仏教説話を思い出す。

それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。

地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に


「食べ物をくれ!」と叫ぶ。


釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。

そしてこう言ったという。


「食べても良いが、手掴かみではいけない。 この箸を使って食べるように」


差し出された箸は、重くて長い箸だった。

人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、食べ物を口に入れようとした。

ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、遠くてそれを口に入れることができない。

ならば箸の下のほうを持って……と

試みても、箸は重いので、 今度は満足に操ることもできない。


結局、目の前に山のような御馳走があるのに、それらを口に入れることができないのである。

人々が泣き叫んでいると、

ある一人の老人が何事かを思いついた。



箸で食べ物を掴んだら、

自分ではなく、

目の前の人の口に入れるのである




食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、

自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
 
自分ばかりが

食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、

人に食べさせることによって、自分の口に入る。


『人を思いやることが、

結局は自分に戻ってくることにつながる』



というような話だった。

こういう戒めはキリスト教にもある。


聖書には

「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という言葉がある。

ごくごく基本的な

「思いやり」の教えなのであろう。

 
けれども、

あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、こんなことを付け加えていたのではなかったか。


「これは、思いやりは

大切だという教えではありますが、もう一つ大切なことが隠されています。

それは、多くの人が誰かのために

何かをするという行為は

所詮、自分への見返りを期待してのこと。

仏の慈悲と同じだと

思い上がってはいけない・・・


ということです」

 
友人はこのことを言っていたのだろうか。

自分の行為を、仏と同等に扱ってはいけない。

それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
 
私は決して、

何かを人にしてあげる時、

具体的な見返りを期待して

いるわけではないと思っているが、、、

でも心の底には、

そうする自分を見て満足するとか、

人の評価を聞いて満足するというような、

精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。 
 
私がささやかにしている行為など、

愛の足元にも及ばないのかもしれない。
 
私は胸が苦しくなった。

 
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。

偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、

やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。

けれども、

そこは第一のステップにすぎない。


その上に、

階段はずっと続いているのである。


私はその階段があることに気づいていなかった。


…いや、

気づいていたのかもしれないが、

面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
 
友人はたぶん、

そういうことを言いたかったのだろう。

けれども、だとしたら

いったい私はどうしたらいいのだろう。

どんなふうにすれば、せめてもう一段、

階段を上がれるだろう。 


----------------------------

 
帰宅後、

私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。

電車の中で気づいたことを素直に告げた後、

どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。



「感謝感謝」

「え?」

「神や仏の愛は

もちろんだろうけれど、

たとえば・・・・・

植物はさ、あなたのために

無償で空気を提供してくれてるんだし、


太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。

人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、

もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、

君は誰かに何かをしてあげた時、

きっと自己満足なんかしないと思う。

むしろ、

あたりまえだと思っていた街路樹やこもれびに

サンキューって言いたい気分になると思う。 偉そうなこと、俺も言えないけどね」











私は体中が温められたような気分だった。
 
その友人は二年後に亡くなった・・・・・



周囲の人の殆どは知らなかったが、

彼はずいぶん以前から

重い病を抱えていたという。

もちろん

私もそんなことは、まったく知らなかった。

郷里に住む高齢のご両親にかわって、友人たちが彼のアパートの整理をした。

そのうちの一人が、

後日、私に電話をしてきた。



「彼の部屋は貼り紙だらけだった。

テレビには『笑いに感謝』、


流しの水道には『水に感謝』、



トイレには『排泄に感謝』、



ベッドには『眠りに感謝』

それに……

薬の入った箱にまで貼ってあるの。

何て書いてあったと思う?

『病気に感謝』

って書いてあったのよ」



彼女はそういうと電話口で泣きだした。

人に何かをしてあげること。


それはもしかしたら、

自分が目に見えぬ多くのものに

守られ愛され支えられていることを

素直に感謝する瞬間なのかもしれない。

 
次のステップはまだ遠い。

でも私はあの友人のおかげで、

ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。









僕は、今までいろんな人に支えられて生きてきた。

残念ながらもう、この世にいない人もいるけれど

その人のためにも、少しでも恩返しができればいいと思っている。

そう生きると決めたんだ・・・


これを読んで

原点。初心に帰ることができた。


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終幕へ向けて

今日で8年間の勤務が終わるわけですが、ここ最近いろいろあったわけです。
すごい幕切れです。数年後に思い返せばきっといい思い出になるでしょう・・・

まー、そこで閑話休題というわけで一つお話を紹介したいと思います。

どうぞ!







僕はいまから八年程前に長女を亡くしました。

彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で、十八年間の人生の中で、

一度も自分の力でベッドから起き上がることが出来ない生活を送り、そして死にました。

急な死だったために、僕があわてて病院に駆けつけたのは 死後一時間ほどしてからでした。

娘は既に冷たくなっていて、一八歳にしてはずいぶん小さな体をベッドに横たえていました。

その夜、通夜が営まれ、お棺に入れられて祭壇に安置されている娘の遺体を目にしたとき、

僕はなぜか「あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている」と感じたのです。

ふと祭壇の上の方を見ると、
そこに娘がポコンと浮かんでいました。

それは、生前の肉体の姿ではなく、
白く光る玉のように僕の目には見えました。

無事にお通夜を終え、
僕は翌日の葬儀に備える為に教会の駐車場にあった車に戻りました。

車のエンジンをかけたときに、
僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。

さっきと同じ光る球体のようでした。

「一緒にお家に帰るか」と僕は娘に声をかけました。

彼女は、「うん、一緒に帰る」と答えました。

不思議なことです。

生きているときは、言葉が喋れないために一度も会話をしたことがない彼女と、

死んだ後ではまるで普通の人と同様に会話ができるのです。

といっても、
それは鼓膜から通して伝わってくるものではなく、

直接僕の心に語りかけてくるテレパシーのような通信手段でしたが、それでも意思は完全に通じあっていました。

いろいろなことを語り合いながら、車を運転していくと、途中で雨が降り始めました。

家に着いたときもまだ雨は降り続いており、

彼女は「そうかぁ、雨ってこういうものなんだ」と感激していました。

ずっと室内で暮らしていた彼女は、

雨というものを実体験したことがなかったのです。

その後、娘は(ヘンな話ですが)自分の葬儀にも出席し、
しばらく我が家に滞在していました。

その間に「お前はなんであの不自由な身体を選んで生まれてきたのだ」
と尋ねたことがあります。

娘の答えはこうでした。

『他の理由はあるけど、私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、
パパは弱者に対してのやさしさが持てない人になっていたかもしれないの。
それで私は重い障害をもってパパの娘に生まれたの』

この言葉は僕にとって目からウロコが落ちるようなものでした。

たしかに、
思い返してみれば当時の僕にはそういった傾向があったのかもしれません。
やがて娘は、「もう天に帰るから」と言って去っていきました。

痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、
彼女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。

障害をもつ子として生まれて、
僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。

これはすべて本当の話です。

もう一度言いましょう。
どんな人生でも無駄や敗北はないのです。

大切なのは無駄や敗北とみえたことから、【何を学び取るか】なのです。

~景山民夫~ (引用おわり)

*・゜゜・*:.。..。.:*・゜・*:.。. .。.:*・゜゜・**・゜゜・*


出逢いが 60億分の1の奇跡であれば、

別れもまた 大切な気づき体験であり、

その1つ1つが“感動”なのかもしれませんね。


僕らは、愛する人を持っていない淋しさも味わいますが、

反対に、愛する人を持ってしまったがゆえに味わわねばならない淋しさもあります。


出逢いと別れは常に表裏一体であり、

別れは 新しい出逢いを生みます。


傷がなければ感じることができなかったものを、

傷みを持つから 人は優しくなれます。


傷みにしがみついて「私って被害者なのよ」と物語を続けることもできれば

同じ傷みを持つ人の気持ちを理解し、癒すことだってできます。


あなた自身がそれに意味を与えたものが、あなたに対しての意味となります


だから 自分の起こった出来事を

「どう受け止めるか」という気づきが大切なんですね。


--地球はまるいから さよならしても またいつか逢える・・・





いかかでしたか??


プロフィール

inukaisanta

Author:inukaisanta
訪問ありがとうございます!
まだまだ使い方がわかりません・・・

一応、精神保健福祉士を目指しております!
ただいま学生です。

ちなみに、僕は特定疾患の病気持ちです。

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